帰還(ミカヤサザ)



 柔らかい土の感覚に、僅かな水の香り。芝生に仰向きに寝転がり、手を精一杯上げ太陽にかざした。
「終わったのね」
 鉛色の空も、響きあう悲鳴も、飛び交う血しぶきもここにはない。戦いは終わったんだわ。

 ふいに、
 風が太陽を割りとある形を作り上げた。
 クールぶった顔つきで、緊張を解いて微笑んだ姿に、この世に代わられるものはない。
 風のように爽やかで芯のある緑の髪、身長に追いつかずにきつくなってしまった服に力強いしっかりとした腕。
「――サザっ!!」
 衝動に駆られる腕につられて体ごと跳ね上がった。そしてその緑を突き破ってしまう、指先。



 …風に儚く揺れた、幻。



「………っ」
 こらえきれない涙が一筋溢れ出てしまう。力の抜けた右腕は今度こそがっくりと地面へ堕ち、もう上げたくもない。
 今まで遮られていた太陽は容赦なく瞳に降り注ぐ。眩しさと涙の渦に、幾秒か目を閉じた。そして開けた時には。

 太陽の光を背に浴び、緑色の髪の青年は再びに。違うのは今度は茶色い一枚布をコート代わりに被っていて。
「…いや、あっち行ってっ!」
 かすれた声を絞り出すと同時に、手を払いにかける。



 トン…



 けれども手の甲は彼の足にぶつかった。
「…ミカヤが呼んだだろ」
 少し困り気な表情ののち、彼は目を閉じずに微笑んだ。
 そして大地を吸い込むような響きのある声を残して。



 バザッ



 飛び上がり、彼に抱きつき二人して地面に倒れ込む。
「…っだ」
 少し苦しげに唇を噛んだ彼の仕草には気にしていられなかった。
 居るわ、ここに居る、確かに触れる。
 そして、ゆっくりした大きな呼吸、手に伝わるぬくもり、心臓の音も聞こえて。
 生きてるの。

「サザ」
「……あのさ……傷に、結構しみるんだけど…」
 手探りのままに茶色い布をめくると、上は白いシャツ1枚しかなく、その下には確かに包帯があった。
 そしてこちらから見て右胸、ここを拠点に包帯が伸びている。そこの古いか新しいか分からない、赤くしみた血痕の部分に手をかざす。傷口を塞ごうと懸命に鳴り響く脈の音からも、生きてる証を感じた。

 知ってる。この傷の覚えは何よりも鮮明だ。城のほこりで、降り注ぐ戦火と舞い上がる爆発音を背に、彼が…彼が私を庇った時にできた傷。心臓まで深く、倒れた時には命も共に消えたのだと誰もが思わずにはいられなかった。

 その彼がここに居るの。何遍となくその類の言葉を胸の中で繰り返した。
「俺…まだ絶対静止なんだけど、目覚めたらいってもたってもいられなくて」
 いつも通りで、そして気まずそうに。
「無理はしないってミカヤとの約束が……って違う!そうじゃなくてもみんなに、ミカヤに…」
「生きててっ」
 彼の言葉の内容は全く聞いていない。ううん、聞けなかった。それよりもその声が、響きがあることがが何よりも嬉しくて。
「ありがとう、サザ…」
 体を彼の上に乗せたまま、傷のない左胸に顔を突き込んだ。そして今までこらえてすすった涙を、別の意味で全部その緑に流した。
「サザ、ありがとう、生きててくれて…っ…」
 それ以上の言葉は涙に掻き消されて声にならなかった。
 深く、心が溶け込んでゆくようで――。

 そしてまた、全身を春風に任す彼も、その深緑の瞳を太陽の光と同調させながら何も言わなかった。



 ただ、右腕は彼女を優しくかかえて。



  Fin


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